京都旅行
2007年11月

一日目 二日目 三日目

時は西暦2007年11月23日5時。

外、暗っ!

新横浜駅に7時15分に集合とのことなので、この時間に起きないと間に合わない(汗)

眠い目をこすりながら、家を出発。

・・・・・・・・・チャリで。

待ち合わせ場所に着く頃には、外は明るくなっていた。

それにしても新幹線に乗るのは久しぶり。

学生時代から、何度か京都に足を運んでいるけど、車でなく新幹線で行くのは中学以来。

もちろん(?)朝食をとる時間なんてなかったから、新幹線の中でとることに。

<『秋味満載』(1,100円)>

けっこうボリュームがあって満足。

仮眠などをとりつつ、9時半頃に京都駅に到着。

京都在住で車を所有しているメンバーと合流して、一同比叡山へ出発!

ちなみに7人乗り込んで、すし詰め状態(汗)

車が悲鳴を上げていたけど、構わず先へ先へ(笑)

京都市街地から琵琶湖方面へ向かう。

『田の谷峠ゲート』をくぐり進んでいくと、左手に『夢見が丘』という展望台があった。


<大津・琵琶湖>

大津・琵琶湖の景色が一望できた。

11月ということと標高が高いため、かなり寒い。

・・・・・・・・・・・・・けど、そんな中メンバーの一人はアイスクリームを食べていらっしゃった(笑)

軽く休憩も取ったことで、出発。

10分くらいだろうか、車を走らせると大きな看板や観光バス、観光客で賑わっている一角が右に見えた。

ということで、『比叡山延暦寺』に到着。

<比叡山延暦寺>

比叡山延暦寺
天台宗の総本山。山号は比叡山。山門ともよばれる。最澄が創建し、平安時代以来、人々のあつい信仰をあつめた大寺院。平安京の東北に位置し鬼門にあたることから、王城をまもる寺とされ、南都とよばれた興福寺に対して北嶺(ほくれい)といわれた。寺の起源は、788年(延暦7)最澄が創建した比叡山寺にある。最澄は804年に中国の唐へ留学、天台山にまなび、翌年帰国してこの地に天台宗をひらき、大乗戒壇の建立を申請した。しかし南都の旧宗勢力の反対にあい、天皇のゆるしをえて教団の独立が実現したのは、没後の822年(弘仁13)だった。翌年、延暦寺と命名された鎌倉〜室町時代の武家勢力の台頭期にも、膨大な寺領荘園を保持する経済力にくわえて僧兵という武力組織もかかえ、中世社会に独自の権力基盤をもった。また宗教界に新風をふきこんだ法然・親鸞・日蓮・道元・栄西・一遍ら鎌倉新仏教の開祖たちは、いずれも延暦寺でまなんでいる。しかし、室町後期以後は荘園の衰退もてつだって寺運はしだいにおとろえ、1571年(元亀2)の織田信長の延暦寺焼き打ちで堂塔はことごとく焼かれ、数千人が殺された。これで中世的権門としての勢いは決定的に低下したが、豊臣秀吉と徳川家康により寺領をあたえられて復興。江戸時代には堂塔の再建がすすんだ。

延暦寺巡拝料が550円

それに国宝殿拝観料を加えるとセットで850円

なぜか延暦寺巡拝のみに一同賛成(笑)

自分でもよく解らなかったけど、国宝殿には魅力を感じなかった(汗)

『延暦寺』『東塔(とうどう)』『西塔(さいとう)』『横川(よかわ)』など、三塔十六谷の堂塔の総称

まずは1番近くの『東塔』から。

道なりに進んでいくと、左手に『大講堂』が見える。

<大講堂>

『大講堂』
僧侶の学問修行のための道場とされ、以前の大講堂は昭和31年(1956年)に焼失し、その後、山麓にあった讃仏堂を移築したのが現存の建物であるといわれている。

また本尊は大日如来を祀り、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など木像が祭られている。

とにかくでかい!人多い!寒いっす!

前庭には鐘楼が建っていた。

<開運の鐘>

これは『開運の鐘(平和の鐘)』と呼ばれ、総本山大鐘楼の役目を担っているらしい。

一突き50円とのことで、10人くらいの列ができていた。

何を願ったかは・・・・・・・・・・・・・・・内緒です(笑)

次は『根本中堂』

『根本中堂』へ向かう途中に、なぜか気になった牛の石像。

根本中堂
比叡山延暦寺の総本堂とされ伝教大師最澄が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる 現在の根本中堂は、織田信長焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、1634年(寛永11年)より8年の歳月をかけて再建されたもの(完成は1641年(寛永19年)。


<根本中堂>

靴を脱いでの拝観となって、大きな門をくぐると目に飛び込んできたのは見事な庭と紅葉。

カメラに収めたかったけど、生憎と撮影禁止orz

仕方ないので、目に焼きつけて奥へ進むことに。

お坊さんのお話を15分くらいだろうか、聴いているとじんわりと足の先から冷えてきた(笑)

ちゃんと聴いていたんだけど、寒いものは寒い(汗)

途中だけど切り上げようと思い、周りを見ると友人ご一行様が見当たらない!

どうやら一人で聴いていたらしい(笑)

『根本中堂』の目の前には急勾配の階段が・・・・・・・・。

この階段を上りきった先には、『文殊楼』がある。

<文殊楼>

これは『比叡山の総門』の役割をしているらしい。

中に入る事ができるので、早速足を運んでみる。

突然の急な階段。

またかよ!

今度は木でできていて、1列になってゆっくりゆっくり上らないといけないくらい狭い階段だった。

その階段を上った楼上には文殊菩薩が祀られているけど、埃っぽくて雑然とした印象を受けた。

『文殊楼』から『阿弥陀堂』へ向かう途中に、『戒壇院』へ寄った。

・・・・・・・・・・・・・オレだけだったけど(笑)

階段を上りきると、少し広めの空間にポツンと佇んでいた。

<戒壇院>

内部の拝観は不可だったけど、建物自体に何か惹かれるものがあった。

戒壇院
台宗の僧が住職になるための条件である大乗戒(規律)を受ける堂で、年に一度授戒会が行われる。また比叡山中でも最も重要な堂の一つであるとされている。最澄上人が大乗戒壇院を建立すべく心血を注いでいたが、存命中は実現せず、最澄の死後7日目に嵯峨天皇より勅許が下ろされ、天長5年(828年)に第一世義真座主により創建されたといわれている。

かなり広めの階段を上ると、ようやく『阿弥陀堂』が見えた。

<阿弥陀堂>

阿弥陀堂
昭和12年(1937年)に建てられたとされ、滅罪回向の道場。京都伏見の国宝・法界寺阿弥陀堂を模した建物で、本尊として阿弥陀如来が祀られている。

『阿弥陀堂』の脇に『水琴窟』がある。

<水琴窟>

耳の穴をかっぽじってよ〜く聞くと、水が滴り落ちる音が微かに聞こえてくる。

琴音が聞こえてくる石の下を、ご丁寧にも赤い矢印で指してくれていた(笑)

『水琴窟』とは反対側に『東塔』がある。

<東塔>

ちなみに、東塔・阿弥陀堂・灌頂堂(かんじょうどう)などの総称が『法華総持院』

『東塔』『阿弥陀堂』も目を奪われてしまうような、見事な朱色だった。

この時点で約2時間を費やした。

残るは『西塔』『横川』

単純計算で4時間!?

うわあ〜。なんか凄いぞ、延暦寺

『西塔』に行く前にいい加減お腹に何かを入れたかったので、入り口で軽く入れることにした。

看板に『名物・ごま豆腐』みたいな事が書かれていたから、これしかないだろ!

てことで注文。

かなり寒かったので、一応店のおばちゃんに、

ごま豆腐って温かいの?」

て聞くと、

「温かくないよ。」

て言われたorz

無知でゴメン。

が、ここまで来て、目の前にある名物を食べない訳にはいかない!

<ごま豆腐>

で食べた。

・・・・・・・・・・・・・・あれ?家で食べた事のある味と食感なんですけど(汗)

オレの味覚がおかしいのか、スーパーで売っているのと大差なかったなあorz

気を取り直して出発。

『西塔』を訪れる前に、せっかくだから比叡山頂に行こうという事になり、もと来た道を少し戻る。

車で10分くらいの場所に『ガーデンミュージアム比叡』がある。

『ガーデンミュージアム比叡』の中に展望台らしきものがあったけど、生憎と入園料を払う気はさらさらなかったので、

仕方なく駐車場から地上を眺める事に。

非常に寒かったけど、来て損はない場所。

なかなかの絶景、案内図を見ると『大原』などが眼下に。

見る物は見たしって事で早々に『西塔』へ。

あ〜、寒かった。

けっこう広い駐車場なのに、ガラガラ。

みんながみんな、『東塔』から『西塔』に流れ込んでくるわけではないらしい(汗)

駐車場入り口からつながっている、ゆるい坂を下って行くと、妙に神秘さ漂う空間に目を惹きつけられた。

<西塔 駐車場入り口から>

僅かな風に葉が舞う『箕淵弁才天社』の様に心が奪われた。

<箕淵弁才天社>

そんな風景に感動を覚えながら、奥へと進む。

参道の左手に『親鸞聖人ご修行の地』というぽっかりと空いた空間があった。

文字通り親鸞がここで修行をしたのだろうか。

さらに奥へ。

すると、参道を挟んで朱塗りの2つの堂が渡り廊下(?)によって繋がっている。

<にない堂>

にない堂
阿弥陀如来を本尊とする常行堂と普賢菩薩を本尊とする法華堂は廊下によってつながれているが、弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担った。

その『にない堂』の前には、なかなか見事な苔の絨毯が広がっている。

『にない堂』の渡り廊下(?)をくぐると、真っ直ぐ伸びている石段を下ることになった。

途中にある堂をスルーして、石段を下りきったところに『転法輪堂(釈迦堂)』がある。

<転法輪堂>

転法輪堂
西塔の中心のお堂で、ご本尊の釈迦如来にちなみ一般に釈迦堂の名で知られている。現在の釈迦堂は延暦寺に現存する建築中、最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂であったが、秀吉が文禄四年(1596)西塔に移築したもの。

石段を下りると、左に『西塔釈迦像』が。

<西塔釈迦像>

その脇に上へと続く石段発見。

その先には鐘楼がある。

<鐘楼>

どうやら鳴らしてもオッケーらしいので、早速(笑)

や、もちろん誰も居ないからって、ナラシマックテイマセンヨ?

『東塔』に比べると、質素だし人もまばら。

でも、雰囲気は『西塔』のほうが個人的には好き。

駐車場から入って、突き当りを左に向かったことになったわけだけど、時間がないため右へと続く道へは足を伸ばさなかった。

『日光東照宮』もそうだったけど、1日で回るって言うほうがおかしいのか(笑)?

そんなわけで、次は『横川』へ。

日が傾き始めていたから、けっこう冷え込んできた(汗)

程なくすると、『横川』の駐車場が見えてきた。

車から降り、参道へ向かおうとすると声をかけられた。

今年は11月3日(金)〜11月23日(祝)まで、『もみじ祭り』というイベントが開催れていたらしい。

幸いにも偶然、訪れた日が最終日だったというわけ(笑)

で、無料抽選で

・「もみじの三年生苗木」

・「たのしいオリジナルグッズ」

・「抹茶」「くず湯」いずれかを無料接待

が当たるのでやらないかと言われた。

もちろん、無料と聞いてやらないわけがないので早速・・・・・・・・・・・・。

ハズレたorz

何人もハズレが続いたが、中には手ぬぐい(?)らしきものが当たった。

そして、満を持して登場といわんばかりの最後のメンバーがトイレから颯爽と登場。

みんなの期待の眼差しを背に受けながら、いざやると・・・・・・・・・・・。

「抹茶」「くず湯」いずれかを無料接待ゲット!!!

さ、さすがだ。

お見それしましたm(_ _)m

その人は『くず湯』を選択しましたとさ(笑)

一盛り上がりしたところで、入り口へ向かう。

『西塔』・『横川』ともに『東塔』で購入したチケットで入れるわけだが、

どういう訳か『西塔』といい『横川』といい、一瞥しただけで終わり。

はっきり言ってチケットなしでも余裕で入れちゃうよ(笑)

ちょっとは確認しようぜ?

参道を進んでいくと、まず目に入ったのは・・・・・・・・・・・・・電線orz

風情もへったくれもないな、これ(笑)

道を進むと左手に『龍が池弁天』が。

<龍が池弁天 Part1>

龍が池弁天
その昔、元三大師(がんざんたいし)が人々を襲う大蛇がいると聞き、大蛇に「霊験あらたかな比叡山で人を困らせてはいけない。もし法力をもっていたら見せてほしい」と言った。大蛇は自分にできないことはないと答え、大師が「ならば大きい姿になってみよ」と言うと、大蛇は横川中堂をひとまきするほどにも大きくなった。「見事だ。では私の掌の中に入ることができるか」と言うと、大蛇は一寸足らずの大きさになった。大師は「悪事を働くのはよくない」と観音の念力で近くの池へ封じ込めてしまった。

<龍が池弁天 Part2>

次に、右に折れて階段を上ると『横川中堂』の目の前に出る。


<横川中堂>

横川中堂
横川は最澄上人の教えに従い、慈覚大師円仁が開いたといわれる場所。さらに円仁が嘉祥元年(848年)に根本観音堂として創建したとされるのが横川中堂で。元亀2年(1571年)、織田信長による比叡山の焼き討ちによって、横川中堂も全焼したらしいが、豊臣秀頼により再建されたといわれている。不運にも昭和17年(1942年)に落雷により焼失、現存の堂は昭和46年(1971年)に建造されたもの。

中に入ると、金色に輝く小さな像が。

1体1万円で奉納できるみたいだけど・・・・・・・・・・・・・1万円て(汗)

この仏像は3面の壁に広がっていて、圧巻だった(笑)

途中に見つけた切り株の大きさから、大木であった名残が手に取るように判る。

さらに奥へ進む前に、左へ逸れる道があるので行ってみると、『虚子之塔』がある。

<虚子之塔>

虚子之塔
高浜虚子は在京時比叡山に登り叡山詣を書き、横川中堂の政所一念寺に泊り『風流せん法』を書き、山をこよなく愛された俳聖。逆修爪髪塔として供養した。

ここの紅葉がまた、見事に色鮮やかだった。

左右に石仏が並んだ道を進むと、突き当たりに鐘楼がみえた。

<鐘楼>

この突き当りを右へ。

道なりに歩いていくと、右手に開けた場所があった。

ここも見事な紅葉だったけど、よくよく見ると観光するところではないらしい(汗)

さらに進み、右手に見える『恵心院』に到着。

恵心院
恵心僧都の旧跡といわれ、恵心僧都はここに籠もり仏堂修行と著述に専念し、浄土教の基礎を築いたとされている。

入り口は両側の木から枝が道を覆うように広がっていて、さしずめ紅葉のトンネルの様。


<恵心院>

人も少なく静寂で神聖な雰囲気だった。

そんな中に、妙な人形を発見。

<???>

どうしたことか、これに惹きつけられた(笑)

で、時間も時間だったから、そのまま駐車場へ。

鐘楼があったところを右に歩いてきたけど、実は左へ行ったほうが名所が多かったみたいorz

行きに抽選所でもち米の饅頭がおいしそうだったから、帰りに食べようと寄ってみたら見事に売り切れだった。

これ、けっこうショックだ。

奥比叡ドライブウェイを先に進み、仰木ゲートから比叡山を後にした。

途中、とんでもない細い道を抜け、鞍馬にある『くらま温泉』で夕飯・・・・・・じゃないか、昼飯か。


<くらま温泉>

日はとっぷり沈んでたけど(笑)

食事だけして、目指すは今宵の宿『天橋立ユースホステル』

市街地に入ると道も混んできて、なかなか進めない。

途中にあったコンビニで夕飯を買って再び出発。

長い道のりを乗り越えて、直前で迷いながらも21時過ぎにようやく到着。

遅い時間にもかかわらず、宿の人も温かく迎えてくれて直ぐに風呂へ。

せ、狭い。

改装したばかりみたいで、建物自体は綺麗でよかったけど。

部屋も今まで相部屋ばかりだったのが、今回は1部屋を使用。

相部屋も良いけど、やっぱり1部屋貸切のほうがホッとするなあ(笑)

食堂で夕飯を食べる事にして行ってみると、2人くらいしかいなかった。

まあ、そろそろ日付が変わろうかというときに、ここで駄弁ってる人はいないか(笑)

結局、普段とあまり変わらない時間に就寝 ZZZ・・・・・・・・・・。

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