奈良旅行
2008年〜2009年 年末年始

一日目 二日目

さて、『興福寺』から『東大寺』『南大門』へ向かう途中、周りが少しザワついているので耳を澄ます。

・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・。

・・・えっ!?ば、ばかな!

時計を見ると針が0時を指していたorzどうやら1月1日になったらしい。

2009年の幕開けだ。

・・・・・カウントダウンくらいしたかったんだぜ?

そして点在している鹿たち!ちょっとした恐怖だ(笑)

<鹿たち>

人が何か食べていると鹿が寄ってくる。何かくれるという思考が身についてしまっているんだろうか。

あー、君たち、人がいなくなったらどうやって生きていくんだ?と電波なことを考えてみたりする。

つーかいつ寝てるんだ?

で、歩きながら感じたのは京都ほど混んではないということだろうか。

・・・と思ったら『東大寺』『南大門』へ続く参道は先が見えないほど凄い人で溢れ返っていた(汗)

東大寺
728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。 741年に聖武天皇が護国信仰に基づき、国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。 その2年後、聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された時に東大寺となった。 大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿などの伽藍が完成したのは789年。 その後、2度も伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたもの。

すみません、侮っていました、ごめんなさい、悪かったですorz

参道の両脇に続く出店には惹かれる食べ物ばかりが・・・。

メンバーの1人がアンパンマンの形をしたカステラを買ったので幾つか食べさせてもらった。

地元の七夕でよく売っていて(アンパンマンの形ではないけど)食べたけど、それほど美味しい記憶ではなかったが、十数年ぶりに食べたら・・・大変美味しゅうございました。

こんなに美味しかったけ、これって。

食べたり喋ったりしているうちにボウっと浮かび上がる『南大門』

<南大門>

『南大門』には精巧な造りで力強さを感じる2体1対の『金剛力士立像』『阿形(あぎょう)像』と口を結んだ『吽形(うんぎょう)像』


<左:阿形 右:吽形>

ここからさらに続く『中門』への参道でもまだまだ人の列。

どうやら無料で参拝できて、元旦の0時から8時までという制限付きで『大仏殿』の『中門』が開扉するため、とんでもない行列となっているようだ。

人数制限でもかけているんだろうか、警備員が『中門』を潜る直前で人を止めている。

そして『中門』を潜ると『大仏殿』が目に飛び込む。

元旦8月15日の万燈会の夜、年に2回しか開かれない『大仏殿』『桟唐戸』

そこから『大仏』の顔を拝めることができるのだが・・・こ、怖い。

<大仏殿>

・・・罰当たりですみません。でも暗闇に顔だけがぽっかり浮かぶ景色が不気味に見えてしまったんです(汗)

あー、あれだ、真っ暗の状態で懐中電灯で下から顔を照らすのと一緒だ(笑)

『大仏殿』の中は溢れんばかりの人でごった返している。

『大仏』を撮るのに余念がない人たちが『大仏』の真正面や少し外れた場所で固まっていたり、おみくじやお守りなどにも人だかり(汗)

まあ、なんというかカオスです。

かくいうオレもそのうちの1人になってたけど(笑)

<大仏>

柔和な表情だけど、雰囲気も手伝ってか威厳を感じる。

『大仏』が鎮座している蓮の花びらは間近に見ることができ、1枚1枚に彫りが施されているのが判る。

『大仏』の奥左右に『夜叉神』を踏みつけている『広目天像』(左)と『多聞天像』(右)の立像。


<左:広目天像 右:多聞天像>

『夜叉神』を踏みつけている構図は多くの寺で見かけた。

『広目天像』のさらに奥には創建当時の模型

<創建当時>

その横には奈良少年刑務所の受刑者が製作した鎌倉時代に再建されたものと現在の江戸期再建の『大仏殿』の2つ、『鎌倉再建大仏殿』『江戸再建大仏殿』の模型がある。


<左:鎌倉 右:江戸>

そこから覗く『大仏』の顔が知り合いに似ている・・・。

『多聞天像』の奥には、中学の時に潜った記憶がある柱の穴。

穴の大きさは『大仏』の鼻の穴の大きさと同じくらいで、ここを潜れると幸せになるだとか、無病息災だとか云々。

目測した結果、今のオレは無理となった。

そもそも“鼻の穴”と知ってしまうと潜る気力が萎えるのはオレだけですか?

そんなオレの目の前で見知らぬ子供たちはキャアキャア言いながら潜っている。

ははは、君らは今、鼻の穴を出たり入ったりしてるんだぞ?後で知ったら軽いショックを受けるかもしれないね・・・。

それにしてもオレにもあんな時代があったなあ、と感傷に浸る、3秒くらい。

『大仏殿』入口脇の気味悪い(罰当たりですみません)坐像は自分の悪いところを触るとご利益があるそうなので、取り敢えず手の届いた右膝を触っておく・・・至って健康だけど。

ちなみにおみくじは全員揃っている時のほうがいいだろうという事でこの時は引かなかった。

宿に戻る途中、みたらし団子を買うつもりが甘酒を飲んでいる自分。

なぜかって?1本100円という値段に高いと感じてしまったからさ!

宿に戻り部屋へ行くと既に暗く、豆電球の灯りを頼りにゴソゴソと風呂の準備をして風呂場へ向かう。

脱衣所に行くと丁度おじさんが上がったようだ。

よし、貸しきり状態だな。

体を洗って風呂に・・・熱っ!誰も来る気配が無いので大量に水を注ぐ。

気持ち、お湯の温度が下がった(結局、大して変わらなかったけどorz)ようなので浸かっていると人が来た、しかも2人。

風呂場自体さほど広くないので早々に出る、水を足してごめんと心の中で謝りながら。

風呂上りにワインを飲む話があったけど、何も言ってこない事から察すると疲れて寝てしまったのかもしれない。

と勝手に思い込み2時頃就寝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

・・・はっ、朝だ!

ということで2009年も昨年同様、元旦朝日は拝めずorz

9時前に起床してチェックアウト、車を『興福寺』の駐車場へ。

「昨日も止めに来たよね?」と駐車場のおじさんに覚えられていた。

この日は、

『興福寺』→『東大寺』→『春日大社』→『新薬師寺』→『奈良町』→『薬師寺』

という盛り沢山の内容。

興福寺
710年、平城遷都の際に、藤原不比等(ふひと)が飛鳥にあった厩坂寺(うまやさかでら)を移築し、興福寺に改名。 法相宗の大本山であり、藤原鎌足の病気平癒のため夫人の鏡大王が京都山科の私邸に建立した山階(やましな)寺が厩坂寺(うまやさかでら)の前身となるため、山階寺→厩坂寺→興福寺と2度名前を変えている。 藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、以後鎌倉時代には大和守護職を勤める。 しかし徐々にその勢いは衰退し、1717年には多くの伽藍を消失。それ以後、徐々に現在の伽藍に復興される。

まずは駐車した『興福寺』『南円堂』へ向かう途中に鹿の決闘!?立派な角がないのが悲しいけど・・・て、他の鹿の額を見ると擦れた後が見受けられる。人の都合で角を切っちゃたからだろうなあ。

『南円堂』で参拝し、そこで2008年のお守りとおみくじを返す。

『東金堂』へ向かう途中、左に見えたのは『中金堂』らしく、そこは工事中になっていて、その手前には『中金堂』の土台(?)らしきものが出来上がっていた。

『東金堂』はそれほど見るべきものはあまりなさそうだが、見て損はないかなと。

そしてなぜか出口方面に今更の様に撮影禁止の板が。

普通、入口近くに置いとくだろ、こういう注意事項は(笑)

<東金堂&五重塔>

いよいよ目当てのひとつである『阿修羅像』を見に『国宝館』へ。

学生の頃に図書館で資料の本を借りて『阿修羅像』にアレンジを加えたTシャツを作ったことがあるので、1度実物を拝んでみたかった。

『阿修羅像』八部衆立像の内の1体で、他にもしっかり立像は残っているのにどうして『阿修羅像』だけが注目を浴びるのかよく解からない。

他とは違った容姿で表情などから穏やかな印象を受けるから?

そして本日2回目となる『東大寺』に向かう途中に・・・ん?人だかり?

・・・うぉ!せんとくんだあ!!

ほあぁ、生せんとくん(?)初めて見たよ。

写真を撮った後に握手でも、と思ったら阻止された!?さすがだぜえ。おばちゃんに一本取られた気分だ(笑)


<せんとくん>

それにしても・・・・・せんとくん、なんか笑える。

さすがに参道には数時間前のような行列は出来てないけど、人は多い。

『中門』を潜ることはできず、回廊から入ることに。

ついでに拝観料をしっかり取られた。

『中門』から『大仏殿』に続く道からはやはり『桟唐戸』が閉じていて『大仏』の顔は拝めることが叶わず。

<大仏殿>

『大仏殿』の正面に立つ燈籠は奈良時代創建当時のものらしい。すごい肌理細やかな装飾。

<金銅八角燈籠>

やはり『中門』を潜れたり拝観料が無料だったり『大仏』の顔を拝めたりできた夜中の詣では貴重な体験だった。

それでも明るい時間の『大仏』は夜中とは違った雰囲気があり見入ってしまう。

・・・で、2009年の運勢はどうなの!?ということでおみくじを引きに行く。

旅行前にTVで見た通り『みくじ筒』を縦に振って、出てきた棒を渡しておみくじを貰う。

あー、ドキドキするなあ。

まるでテストの答案用紙を返してもらうようなドキドキだ・・・嫌なドキドキだな(笑)

・・・・・・“凶”だ!!!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・ま、まあ、あれだ、現状よりも良い方向になる可能性大というわけだ!ハハハ・・・。

こんなんだったら“大凶”の方がまだ良かったorz

ついでに、前に並んでいた異国のアジア人も“凶”を引いていた。

とりあえず、おみくじを一目散に結んで『大仏殿』でお守りを買っておく!

『東大寺』はまだまだ見るところが沢山あるけど、時間が時間だけにこれにて終了(汗)

次の『春日大社』へ行く前にお腹に何か入れようということで、大通りから『南大門』へ続く参道が交わる交差点にある『和風レストラン三山』で昼飯。

茶がゆが1杯までならお代わり自由という『大和茶がゆ』(1395円)を注文。

<大和茶がゆ>

ほうじ茶の香りが心地よい。ただ、味が無いから漬物が無かったら食べるのに苦労したかもしれないけど(笑)

付随している料理も思った以上に美味しかったので満足。

・・・で、2万円持ってきた筈なのに財布の底をつきかけている!?

つーか、ここで昼食代を払ったら綺麗なくらいに無くなるんですけど!?

高速とガソリンはカードで払っていたから関係ないとして・・・いったいドコにorz

申し訳ないと思いつつメンバーの1人から、ありがたやありがたやと1万円を借りる。

今思うと、ここで早くも“凶”パワーが発揮されたのか!?

って、それはないな・・・。

春日大社
710年、藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが起こり。 768年、現在の地に社殿を造営。興福寺と同様、藤原氏が勢力を伸ばすにつれ盛んに社殿の造営が行われ、平安後期に今日のような規模を整えた。 皇族や貴族の春日詣もさかんとなり、中世以降はさらに信仰の広がりを見せ、全国各地に御分社がつくられるようになった。 万燈籠で知られる多くの形の釣燈籠、石燈籠の多くは庶民の寄進によるもの。そのため庶民信仰の深さが伺われる。

次は『春日大社』・・・・・にー!!?

何ですか、この人ごみは?もう列とは呼べない状態なんですけど。つーか参道が人で埋め尽くされてる(笑)

ガイドブックには二の鳥居近辺に鹿が彫られた燈篭があると載っているが、とてもじゃないけど調べられる状態じゃないんで諦めるorz

どのくらい時間が経ったのだろう、ようやく『南門』が目の前に。

が、ここでも人数制限を設けていた。

漸く参拝できると思ったらあまりの人ごみに前に進むこと叶わず。

随分と賽銭箱が遠く、とてもじゃないけど目の前に行くことは無理だろうということで、仕方が無いので数メートル後方から・・・投げる!

そんな訳で『中門』まで行けなかった記憶が・・・。

『春日大社』の境内はどこに行っても人だかりで、しかも年始で参拝客が多いのを見越したのか柵が置かれていて全然拝観できない。

軒下や回廊には多数の灯篭が吊り下げられていて、他の神社とは違った様相を呈しているから歩いてみたかったorz

つーことで『春日大社』の印象は人が多い!ということ以外何もなかったなあ。

気を取り直して次々。

ガイドブックの写真を見て瞬間的に思った。ここは行きたいと。ということで『新薬師寺』へゴー。

なにやら異常に寒くなってきた中、『春日大社』から20分くらいだろうか、少し遠回りをして人の少ない道を歩いたりと色々あったがなんとか到着、『新薬師寺』に。

新薬師寺
萩の寺とも呼ばれる新薬師寺は747年に光明皇后が聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味。 当時は南都十大寺の一つに数えられ、七堂伽藍が整った由緒ある寺院。 しかし落雷により炎上、現在は本堂のみが残り、鎌倉時代には解脱、明恵両上人が東門、南門、地蔵堂、鐘楼を建立。 奈良時代建築の中に当時の彫像が安置される様は中国敦煌の莫高窟より洗練されたものである。

『南門』を潜るとすぐ脇に・・・カエル?なんだこれ(笑)

『本堂』以外は見るところはそれほどなかった気がする。『新薬師寺』の規模自体があまり大きくないというのもあるだろうけど。

<本堂>

『本堂』内部は円形の仏壇上に本尊『薬師如来像』、そしてそれを様々な姿とポーズで囲むように『薬師如来』の眷属である『十二神将立像』

圧巻です。ホント目にしといて良かった。

ていうか写真に収めたかった。日本はどこ行っても撮影禁止だから目に焼き付けるしかないんだよなあ。何とかしてほしいものです、はい。

『十二神将』“干支の守護神”という役割も果たしていて、国宝に指定されているが波夷羅(ハイラ)大将は地震で破損し、後の時代に補作されているため国宝の指定は受けていないと、

波夷羅(ハイラ)大将の干支に当たるメンバーの人が偶然いて、住職に訊いていた・・・のを聞いた。

まあ、自分の干支だけ国宝指定されていなかったら訝しくなるのは当然か(笑)

『十二神将』の置物が3000円ちょい・・・12体でこれとは安いなあと思ったら1体の値段だったorz

はいはい、ムリムリ。

1000円くらいだったら自分の干支に当たる像を買いたかったんだけどなあ。

奥にはTVがあり、CGで再現しているようだった。

それを観て元々は色彩豊か(・・・オレは毒々しいと感じたけど)な『十二神将』だったんだなあと驚く。

外に出ようとしたら・・・ミゾレ!?勘弁してほしいぜ。

なんて思っているうちに止んできたので次は『奈良町』へ向けて出発。

地図を片手に家々を眺めながら進んでいると・・・今度は雪かあ、道理で寒いわけだよorz

妙に細い道を進みながら歩くこと数十分。

ガイドブックに載っていた『ならまち工房』が右手に見えた。

雰囲気が良く雑貨やカフェなど数店舗が入っているようなので覗いてみると・・・ほとんど閉まってたorz

なんか、ここまで来ると年始早々営業なんぞしていられるか!という強い意志を感じます(笑)

で入り口に災いを受けてくれるという“身代り猿”を発見。

<身代り猿>

取り敢えず触っておこうか(笑)

次に『格子の家』へ・・・到着・・・開いてない・・・終了orz

このパターン多いな。

時計を見ると16時を指していたので、車で17時で拝観終了の『薬師寺』を目指す(汗)

薬師寺
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈り、藤原京にて創建。 その後平城遷都に伴い、718年に現在地に移転された。 この移転について、伽藍、仏像をそのまま移したという説と、寺院の名籍だけを移し、伽藍や仏像は新しく造立したという説がある。 前説なら東塔や薬師三尊像などは白鳳時代の作、後説では天平初期の作となり今日に至るまで定かではない。 金堂、講堂などを中心に、東塔と西塔の2つの三重塔を配する構成は独特で、これは薬師寺式伽藍配置と呼ばれる。 幾多の火災のため創建当時の姿を残すのは東塔のみ。 その後は金堂、西塔、中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍が復元され、今日も続けられている。

16時半くらいに着いたが、拝観料を払うところは既に閉ざされていて・・・あーんど30分で回れるわけもない。

それでも来たからには回れるところは回った。

『南門』を潜ると直ぐに『中門』が見える。そこには色彩鮮やかな『二天王像』が両脇に。

<中門>

その先にはパッと開けたところに出て、目の前には『金堂』

<金堂>

その少し離れた両側には『西塔』『東塔』


<左:西塔 右:東塔>

こんな時間だからだろう、ほとんど人がいない。

そして似たような建物がまた前方に。『大講堂』というものらしい。

<大講堂>

さらに奥へ進むと“玄奘三蔵院伽藍はこちら”みたいな看板があったので指示通りに進むと・・・あれ?なんか外に出ちゃったぞ??

で、さらに進むと漸く見えてきた、『玄奘三蔵院伽藍』の前には柵があり、その前で誘導しているおばさんおねえさんが何か喋ってる。

<玄奘三蔵院伽藍>

訊いてみると、どうやら時間的に買うことが出来なかったチケットを持っている人は『玄奘三蔵院伽藍』を柵越しに見るのではなく、周囲の回廊を歩けたりと色々見学できるようだ。

『玄奘三蔵院伽藍』公開時は1/1〜1/5、3/1〜6/15、9/16〜11/25と年に3回の時期しかないようで見学できなかったのは非常に心残りorz

ここには『西遊記』でお馴染みの三蔵法師、その人といわれる玄奘三蔵像が安置されている。

<玄奘三蔵像>

まあ、厳密にはちょっと違うけど・・・興味のある人は調べてみるのも宜しいかと。

時間は17時間近・・・いや、もう過ぎてるか?閑散とした『薬師寺』から撤収。

近鉄奈良駅方面へ戻り『東向商店街』で土産物を物色。

ガイドブックに載っていた『湖月』の営業時間内に着きそうもないので、『奈良小鹿』『大和路三笠・山楽』(でっかいどら焼き)を買ってブラブラ歩いていたら・・・『湖月』が営業してるんですが、これ如何に(笑)?

ちなみにこのでっかいどら焼きは部屋に戻ってから食べました・・・うーん、普通?

『東向商店街』『三条通』がぶつかる辺りに妙に人だかりができている。そこは和菓子屋の『中谷堂』

できたてホヤホヤのよもぎ餅が売っていたので、早速食べてみると、温かく軟らかく甘さも絶妙で美味しかった。

夕飯は京都に入ってから取ろうという事になり、京都へ向かうためETCカードセット・・・エラー表示!?

“?”が出つつも、もう一度セットして木津ICへ・・・・・レーンが上がらない!うそだあぁぁ!

思わず止まってしまった・・・で、後続車に追突されるんじゃないか、これは?

と一瞬不安になったがちゃんと車間距離をとっていてくれたようで後続車は止まってくれた。

こういう場合は事故が起きないように一先ず突っ切って、後で精算するんだっけ?

で、なにやらETCカードを認識していなかったらしいんだけど・・・ちゃんと奥まで差し込んだのになあ、なぜだorz

係員が出てきて直ぐに処理は終わったが、その後はETCを通過するたびにドキドキ。

心臓に悪すぎorzそして後ろの車、ゴメンナサイ。

とんだハプニングがありつつもなんとか京都の宇治にある『ザめしや』で夕食。

その時、隣接するブックオフが気になったのは内緒だ。

初めて入ったけど、いいね、この店。

おかずが1品づつ陳列されていて、取った分だけ席で精算する流れらしい。

けっこう食べたけど900円くらい。他のファミレスに比べても安いんじゃないだろうか。

一息ついたところで、帰りのルートはどうしようかとなり、行きは関ヶ原彦根辺りで雪に見舞われて豪い目にあったから、新名神を使っていこうということに・・・。

とりあえずオレのナビにはそんな道路は存在していないらしく、ナビ上は道なき道を進んでいた(笑)

この後、結局、雪に見舞われたんだけどorz

画像の通り、軽く積もったりしてるし(泣)まあ、この時期はどこ使っても雪を避けることは出来ないということか(汗)

で、車を走らせること数時間、着いた着いた・・・い・・・せ?イセ?・・・伊・・・勢??伊勢IC・・・・・・・・・・は?

なんか数年前に見た“伊勢神宮外宮”とか表示が見えるんですけど?

オレが戻ろうとしているのは神奈川県だよね?

なんだ?以前の旅行のようにフェリー使って三重県から愛知県へ渡っちゃおうていう算段でもあったのか?こんな夜中に、しかも三が日にフェリーが動いているとでも思ったのか?そうなのか?

いやー、もうなんだろね、笑うしかないです、この状況、ははははは・・・・・。

日付がそろそろ変わろうかという時刻に、なに伊勢道制覇しちゃってんだよ、オレorz

そーいえばナビは何度もUターンしろって指示を出してたなあ。この時はあまり信用してなかったから完全無視してたんだよなあ。

なるほど、それが見事に仇になったって訳か。

これからはもう少しナビとの信頼関係を築いたほうが良さそうだ、と心に刻み込むワタクシ。

新年早々、凶パワーが発揮されてしまったんでしょうか(泣)

道を間違えなければ2日の午前0時くらいには浜名湖SAでもう1台と合流出来ていただろうに。

浜名湖SAで待っていた人たち、同乗者の人たち、すんませんでしたm(_ _)m

で、合流できたのは2日の1時半。

ここで今までの旅費を精算して、それぞれの車で送り届けるメンバーを決め、そのまま帰宅。

ここから先は『スカイガールズ』の舞台となった所までほとんど寝ていたので記憶があやふや。

部屋に戻ったのは空がうっすら白みがかっていた時刻。

久しぶりの奈良はホントに良かった。時間がかなり限られてしまっていたので、まだまだ見てないところがたくさん残っているけど、満足のいく旅行でした。

他の時期は判らないけど、京都と比べて観光客が思った以上に多くなく、気持ち的にのんびり出来たのがまた良かった。

次回は見逃したところともう少しディープな名所を回ってみたい、ということでまたいつか来よう。

おわり

一日目 二日目

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