奈良旅行
2008年〜2009年 年末年始

一日目 二日目

時は西暦2008年12月30日19時。

コンポが壊れてMDへのダビングができないので、旅行数日前にiPod nano(8G)を購入しマイ・ウイングロードFMトランスミッターを装着。危惧していたノイズは無いに等しい状態だったので安堵。

・・・えーっと、音がこもってしまうのは仕様ですか?

中学の修学旅行以来となる奈良で年末年始を過ごすことになり、マイ・ウイングロードでSさんKさんの2人を拾って美合PAでもう1台の車と合流して奈良へ向かうことに。

合流時間は31日の4時ということで、ネットで調べると今住んでいる部屋を19時に出れば余裕ということが判ったのでのんびり出発した。

Sさんを21時に拾う予定が20時半に到着。ちょっと早かったらしい。

なんだかんだでSさんを乗せて出発したのは21時。

次のKさんは23時の予定が22時半に着いたので、Kさんを乗せて美合PAへ。まあ、大した誤差ではないだろう・・・。

そしてSさんKさんは風邪を引いていた。もちろん外は極寒なんで車の窓は閉め切っている。

そのため車中はバイオハザード状態・・・レベル3くらいですか(笑)?

ああぁ、せっかくオレ自身の風邪が治ったと思ったのに・・・(ぶり返さなかったけど)。

・・・で、ナビの到着時間を見ると31日の・・・1時半!?ちょっと気合が入りすぎたようだ。

早いに越したことは無いので取り敢えず美合PAを目指し、ナビ通りホントに1時半に到着(汗)

彦根辺りの高速を走っていると道を塞ぐ様に氷雪作業車(?)が低速で走っていた。

最初はそのことも解からず、何で道を塞いでゆっくり走行してるんだyo!渋滞できてるじゃん!せめて片側だけでも道を空けろよ!ウガー!!

と思っていましたが・・・雪!?ノーマルだぞ、オレの車のタイヤは!ということなので大変助かりましたm(_ _)m

えーえー、最初の勢いはどこへやら、内心ビクビクしながら走っていましたとも!

連絡を取り合って奈良『平城宮跡』『朱雀門』で待ち合わせということに。

『平城宮』の正門であり、遠くからでも判る大きさと朱色に塗られた色鮮やかな『朱雀門』に驚く。

<平城宮跡>

塀が途中までしかなく、後付けの感じが思いっきり判るが、さすがに全て復元は無理だろうなあ。

ちなみに着いたのは6時半。

周りには見事なくらいになーんもない。ここまでくると清々しい(笑)

無事にもう1台と合流して次の目的地、『法隆寺』を目指す。

てっきり車は宿近くに止めて電車で『法隆寺』へ向かうものだとばかり思っていて、『法隆寺』もしくは『中宮寺』からバスで近鉄筒井駅まで行き、そこから1本で橿原神宮前駅まで行く計画を立てていたので、バスの時間を事前に調べて、

よっしゃー、ばっちこーい!と思っていたのは内緒だ。

・・・実際には車で向かうことに。

厚い雲が垂れ込めている中、朝食は取らずに『法隆寺』へ。少し迷いながらだが、何とか到着。

法隆寺
金堂、五重塔などがある西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群。
別名を斑鳩寺といい、聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院。

『南大門』『中門』に続く道の塀の上には見事な鬼瓦が多数。今まで気に留めて見たことがなかったので、精巧な作りに驚く。

<鬼瓦>

『中門』をとりあえずスルーしてその脇に、松山から上京する途中に立ち寄って『法隆寺』で詠んだ俳句といわれる正岡子規の有名な、

“柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺”

の句碑を見て感動。つーか、歴史の一部に足を踏み入れたって感じだろうか(笑)教科書で習ったものを目の前にするとは。

<句碑>

・・・まあ、実際には句の鐘は『法隆寺』でなく『東大寺』の鐘という説があるみたいだけど。

『西院伽藍』への入口となる『中門』には歴史を感じさせせる『金剛力士像』が対になって睨みをきかせている。

<中門>

門なのにここから入ることは出来ないんだ・・・中学生の時もそうだったっけ?と中学の頃の記憶を引っ張り出すことが出来ない悲劇(汗)『中門』の脇にある入口から入ることに。

・・・・・・拝観料1000円!高っ!!

そして足を踏み入れると・・・オウ!『五重塔』!懐かしいー!と思わずにはいられない。あぁ、敢えて年数は数えないが何年振りの再会だろう。

その横には『金堂』がどっしりと構えている。

<五重塔&金堂>

『金堂』の中には『金銅釈迦三尊像』『金銅薬師如来座像』など国宝が安置されている。

他にも天井や壁も見所ありだった。ってここで書いても撮る事は禁止されていて画像がないんで、オレのボキャブラリーでは凄さを説明できない。

百聞は一見にしかずということで気になったら足を運んでみてください。

『金堂』を出るときに職員がいたけど、完全に井戸端会議になってたなあ。大丈夫か?

『大講堂』には本尊の『薬師三尊像』『四天王像』が・・・やはり撮影禁止orz

<大講堂>

そして我らの前には一眼レフを構えてナイスショットな写真を収めているであろう青年をよく見かけた。ということで彼のマネをして1枚・・・・・ホントにナイスショットな位置だったのか?

『大宝蔵院』では『観音菩薩立像』『玉虫厨子』など数多くの貴重な国宝物や重文をじっくり鑑賞。

珍しい形の八角円堂である『夢殿』では聖徳太子の等身像とされる『救世観音像』が安置されているようだけど、残念ながら時期が悪かったようで開扉されていなかった。

<夢殿>

ここまで来て『救世観音像』が拝めないのも癪なので、写真だけでも・・・。

<救世観音像>

時間的に余裕がなさそうだから『中宮寺』は諦めようかと思ったが、『法隆寺』と繋がっている感じで、『夢殿』から歩いて1分とかからない距離にあったので足を向ける。

中宮寺
聖徳太子ゆかりの寺院。平安時代以降衰微したが、慶長7年(1602年)慈覚院宮を初代門跡として門跡尼寺(門跡寺院とは格式の高い寺)となる。 創建当初は法隆寺東院から東に離れたところに位置し、現在地に移転したのは16世紀末頃と推定される。

<中宮寺>

それにしても『法隆寺』の敷地内といってもおかしくないのに、別料金て・・・。

こじんまりとした門をくぐった先に見えた『本堂』は立派だった。下には澄んだ水が張ってある。うーん、水があるだけでこうも幻想的な雰囲気にガラリと変わるとは、不思議なものだ。

そして、どうやら『本堂』へはうちらが1番のりだったようで、寺のおばさんもこの時間帯に人が来るとは思っていなかったのだろうか、寺の説明を流すラジカセのスイッチを入れ始めた!?

はい、提案。雰囲気ぶち壊しなのでラジカセはどこかの陰に隠した方が良いと思います。

『本堂』内は随分暗く厳かな雰囲気があるなあと思ったら、仏像の裏から先ほどのおばさんが出てきて電気を点け始めた(笑)

・・・草津の某スキー場近くの喫茶店でこれと似たような体験をしたことがあるぞ。

一通り観たので、朝食でもというところに目に飛び込んだのは『南大門』前の食事処、『松本屋』の店頭ではためくノボリに“柿うどん”の文字。

そこで柿うどんなるものと柿の葉寿司を食べる。

<柿うどん&柿の葉寿司>

柿うどんうどんに綺麗にの色素が付いたといった感じで、柿の葉寿司押し寿司の葉で包んだだけのもの。の葉のいい匂いが堪らん。

個人的に柿の葉寿司は美味しかった・・・柿うどん?ふつう。

車を『興福寺』の駐車場に止め電車で近鉄奈良駅から大和西大寺駅で乗り換え橿原神宮前駅を目指す。

自転車で飛鳥の観光名所を巡るために橿原神宮前駅→観光名所巡り→飛鳥駅のほうが良いとネットで知ったので、飛鳥駅下車ではなく手前の橿原神宮前駅で降りる。

んが、自転車の乗り捨て可能な『明日香レンタルサイクル』へ行くと・・・シャッターが下りていた・・・はい?

ガイドブックには無休と載っているんですが!?もう一つのレンタルサイクル店も年末年始は休みorz

おいおい、出だしから躓いてどーするよ!どうしょもないので、渋々飛鳥駅でレンタルすることに。

17時で『興福寺』の駐車場が閉まる為、それまでに戻らないといけないので直ぐに来た“特急”という電車に乗り込んで2つ隣の飛鳥駅へ向かう。

が、このガラガラだった“特急”は指定席になっているようで嫌な予感がした。

「別途500円くらい取られたりして、ははは・・・」とメンバーの1人と話していたら、改札で駅員が待ち受けていて500円取られたorz

いやいや、“特急”とか“急行”とかの料金についてもう少し目立つように書くなりアナウンスするなりして下さい、お願いですから。

結局、近鉄奈良駅から飛鳥駅まで1000円も掛かったって、どんだけ〜w

飛鳥駅を降りて閑散としている駅前に戸惑いながら周りを見ると、レンタルサイクル店が2軒、『万葉』『古都』が開いていた。

<飛鳥駅前>

メンバーの1人が電話で確認を取ってくれたのは『万葉』だったけど・・・一番近くの『レンタサイクル古都』でレンタルすることに。


<レンタサイクル古都>

ごめん『万葉』m(_ _)m

周囲を見ると、すげー、ザ・田舎!て感じで長閑な風景が延々と広がっている。

うーん、これはこれで素晴らしいんじゃないか?

サイクリング、サイクリング、ヤッホーヤッホー♪・・・なんて暢気に歌っている時間は無いのでペダルを漕ぎまくる。

よーっし、気を取り直して『高松塚古墳』からだ!

まずは『高松塚壁画館』で歴史を堪・・・能・・・あれ?

年末年始は休館とのことorz

<高松塚壁画館>

・・・ウハハ、もうなんと言うか、精神的にボロボロです。

年末年始は稼ぎ時だと思うんだけどなあ、これいかに?

『高松塚古墳』は丘から見えるポッカリと空いたところのどこかにあるんだろうと、思いを馳せてみる・・・・・が実は眺めている自分のすぐ隣にあった(笑)


<右:高松塚古墳>

工事現場かと思い完全にスルーしてた。偶然とはいえ見つけることができてよかった・・・。

時間が押しているので次へ向かおうとするところで漸く判った。

どうして飛鳥駅からでなく橿原神宮前駅から観光したほうが良いのか。それは思いっきり上り坂になっているからなんだね、納得(泣)

微妙に分かり辛い場所に『亀石』発見。チャリンコをすっ飛ばしていると見失いそうなところにある。

<亀石>

亀石
川原寺の境界を表す標石であるという説があるが、亀石には伝説があり、大和が湖であった頃、湖の対岸の当麻(たいま)とここ川原の間に争いが起こった。その結果、湖の水を当麻にとられ、湖に住んでいた多くの亀は死んだ。 後に亀を憐れに思った村人達は亀の形を石に刻んで供養した。 現在、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけた時、大和盆地は泥沼になるという。

ちょっと恐ろしい伝説だが・・・それにしてもなんて愛嬌のある表情なんだ、こいつは(笑)

細い道を真っ直ぐ進むと田んぼの真ん中にポツンと出てきたような『橘寺』が見えてくる。

橘寺
聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされ、橘とは田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命により不老長寿の薬を求め海を渡り十年後にある種を持ち帰った。しかし、既に天皇は亡くなっていたため、その種をこの地に蒔くと芽が出たのが橘であったことから、この地を橘と呼ぶようになった。 そしてここに橘の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、太子はここで生まれ子供時代を過ごした。

『本堂』以外は無料のようでズンズン中に入っていく(笑)

最初に出迎えてくれたのは聖徳太子の愛馬『黒駒』・・・ん?似たようなのを『法隆寺』でも見た気がするなあ。

<黒駒>

そして『本堂』の奥には不思議石の『二面石』

<二面石>

背中合わせの二つの顔は人の心の善悪を象徴しているようで、左が善の顔、右が悪の顔・・・?

うーん、右が善の顔に見えてしまったのはオレだけ?

300円払って『本堂』へ。改めて思うけどホントに人がいないなあ。

<本堂>

『木像聖徳太子坐像』(三十五歳像)が安置されていてふっくらとした印象を受ける。

『本堂』は広くなく時間も押している(?)ので5分くらいで終了。

出ようとしたら受付のおじさんに「往生院の天井画もご覧ください」と言われて、

そういえばガイドブックに載ってたなあ、それ。と思い出す。

ありがとう、おじさん!

ますます人気が絶えた『往生院』へ。

微妙に入り辛かったが、なんのその。中へ入ると天井にはびっしりと画が。

<天井画>

畳みだし人いないし、どうせなら寝転んで見てみようってことでゴロリと寝転がる(笑)

なんか気持ちいいなあ・・・寒いけど。

ここは立ったり座ったりして天井画を眺めるのでなく、寝転がることをお勧めします。

続いて個人的メイン(?)の『石舞台古墳』へ。

石舞台古墳
横穴式石室という古墳の横に穴をあけ遺体を納める玄室への通路に当たる羨道(せんどう)のある石積みの墓室。蘇我馬子の墓であったとされている。 “狐が女の姿に化けて古墳の上で踊ったことから石舞台と名付けられた”という伝説もある。

ここに来ると人が多くなってくる。それほど有名ということなんだろう。

それでも駐輪場に他の自転車は見当たらない。あー、寒いしねー、仕方ないよねー。

お金を払い、ではでは早速、と足を踏み入れると・・・やはり一番最初に目に飛び込んでくる、『石舞台古墳』。うん、確かにこれだけの大きさなら狐だけでなくオレでも踊れそうだ(笑)

<石舞台古墳>

そして見晴らしがなかなか宜しい。これで日差しがあればなあ、と心底思う。

実はこの旅行の数ヶ月前に『化猫伝』(著:長坂秀佳)を読んでいて(内容は・・・怖くなかったあorz)、偶然にも奈良を舞台にしていて、『石舞台古墳』が出ていたことから、奈良を訪れる際は足を運んでみたい、と思っていた。

そのため実物を見れたときは感動(笑)

お次は『石舞台古墳』内部に突貫。

さすがに間近で見ると迫力がある。それによくもまあ長い間、崩れないものだな、と見入ってしまう。

次に移動しようとしたが、ガイドブックを見ると石櫃が奥にあるらしいので行って見る。

<石櫃>

何を期待していたのか自分でもよく分からないが、拍子抜けした気持ちだけは覚えている。

坂道を気持ち良く(・・・うそ、寒いorz)下って、『伝飛鳥板蓋宮跡』『大化の改新』の舞台(?)となった場所でそれを再現・・・するのは恥かしかったのでしなかった。

<伝飛鳥板蓋宮跡>

伝飛鳥板蓋宮跡
政権を掌握していた蘇我入鹿、中臣鎌足は蘇我氏による専横に憤り、皇極天皇4年(645年)飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。 蘇我氏本宗家滅亡事件をこの年の干支にちなんで乙巳の変(いっしのへん)という。大化の改新という説もある。

次は『酒船石』『亀形石造物』へ。

ここへ来て、駐輪場に似たような自転車が数台止まっていた。

なんだあ、ちゃんと自転車観光客はいるんじゃん。と、よく分からない安堵感と

自転車が10台くらいあったら、自分がレンタルした自転車がどれか判らなくなる自信があるな!

と妙なことを思った。

竹に囲まれた階段を上ると途中に石垣も掘り出されて・・・と思ったが、復元されたものらしい。

<石垣>

さらに上ると『酒船石』が右前方に見えてきた。

<酒船石>

この石はお酒を搾るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるようだけど実際の所は謎。

当時はもっと大きかったらしい・・・けど、ホント何のためのものか。

この幾何学模様は・・・あー、あれか、ミステリーサー(ry

次だ次。

駐輪場に戻りすぐ近くの『亀形石造物』を眺める。

本来ならお金を取るらしいのだが・・・係の人がいないよ?

・・・あ、年末だからか。もう慣れてきたぞ。

でも中に入っている人はわらわらいるので・・・・・ということでお邪魔します。

<亀形石造物>

これは導水施設の役割と祭祀で使われていた施設でもあるらしい。

昔の人は神様を敬いつつ、試行錯誤してなんとか生活が便利に豊かになるように生き抜いていたんだろうなあ。

入って近くまで行っただけじゃ全体をうまいこと見渡せないと思ったので、小高い場所に一人上る。

いやー、ホントに一人でした、ここに上ったのは(笑)

さて、時計を見ると思った以上に早く回れてる。

小腹も空いたしということで『奈良県立万葉文化館』で食事をしようと・・・うん、そうだよね、ある程度予想はついていたよ、年末は休館だってことくらいね。

つーことで次の観光名所へ出発。

そして思った以上に近かった『飛鳥寺』に到着。

自転車様々だ〜。

<飛鳥寺>

ここは今までで1番観光客がいた。

飛鳥寺
596年(推古4)に蘇我馬子によって建てられた本格的な伽藍配置の日本で最初の大寺院。
創建時の飛鳥寺は三金堂一塔式という、塔の東・西・北に金堂を配し、その外側に回廊をめぐらした置く類例のない伽藍様式だったが焼失。 建立にあたっては、百済の専門家が招かれたという史実からも、当時の朝鮮との深いつながりがうかがえる。 飛鳥寺は平城遷都で奈良に移り、元興寺と改めたが、ここも本元興寺として存続。 寺の庭は、大化改新を巻き起こした、中大兄皇子と中臣鎌足との歴史的な出会いの場として伝えられている。 本尊は、鞍作止利(くらつくりのとり)によって造られたと伝わる重要文化財の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)。 東大寺の大仏よりも、さらに150年も古いと推定されている。 現存するのは、堂宇と日本最古の仏像のみ。

『飛鳥寺』のすぐ脇にある『大佛屋』という土産物屋には古代チーズ『飛鳥の蘇』という興味深い土産があった。

とりあえず拝観後に寄ろうということで早速、境内へ。

と思ったけど『飛鳥寺』を突っ切って、その裏にある『蘇我入鹿の首塚』を目指す。

<蘇我入鹿の首塚>

『伝飛鳥板蓋宮跡』藤原鎌足に落とされた蘇我入鹿の首は、憎悪で鎌足を追いかけて飛んでいったそうな。

しかし途中で力尽き、この地に落ちたらしい。

ああ、恐ろしや。

周りを見ると気持ちいいくらい遮る物が何も無い。

なんか凄いよ、ここ。

『飛鳥寺』へ戻り『本堂』内へ行くとちょうど住職による説明が始まっていた。

その説明の最中に隣のおじさんが日本最古の『飛鳥大仏』といわれる『釈迦如来像』を撮り始めた!?

え!?こういうところって撮影禁止じゃないのか!?

住職も何も言わないし説明が終わったら、皆さんバシャバシャ撮り始めたのでここは撮影OKらしい。それならばということで撮った。

<飛鳥大仏>

微妙につぎはぎが目立つけど、『飛鳥大仏』の存在は人々にそれだけ必要とされていたのかな、と考えてしまう。

海外に比べて日本は撮影禁止の場所が多すぎるから、正直ガッカリしていたのでこれは嬉しい誤算だった。

他の神社仏閣、美術館なども見習えばいいのに、と思うのはワタクシだけでしょうか。

一通り見終わって先ほどの『大佛屋』『飛鳥の蘇』を試食。

これは牛乳を煮詰めて固めたもので、口に入れると甘く後から牛乳の香りが広がってくる・・・あまりに濃厚過ぎて喉渇いたけど(笑)

次は『飛鳥水落遺跡』へ。

飛鳥水落遺跡
日本書紀に斉明6年(660)、中大兄皇子が日本初の漏剋(水時計)をつくり、 第40代天智天皇に即位して後、671年4月25日(新暦6月10日)設置されて、精密に、堅固に築いた建物と、 建物内中央に黒漆塗り木製水槽を使った漏刻装置が昭和56年に発掘され、「日本書紀」に書かれた「漏刻」の跡と判明。 建物と一体で黒漆塗りの木箱、木樋暗渠、枡、銅管など、水を使用するいろいろな仕掛けがつくられ、 時間を管理し、天文、暦、呪いも担当した役所が塀で囲まれた一郭に在り、 1階に漏刻装置、2階に都へ時刻を知らせる鐘や太鼓が設置されていた。

<飛鳥水落遺跡>

水時計の使われ方も載っていたけど、「〜らしい」とか憶測のように書かれているから、実際はある程度誤差があるかもしれない。

残るは『鬼の俎(まないた)』『鬼の雪隠(せっちん)』『猿石』飛鳥駅へ戻る途中に見るだけ。

『飛鳥水落遺跡』から自転車で15分くらい走らせ、入って行った畦道沿いに『鬼の俎(まないた)』『鬼の雪隠(せっちん)』がある。

鬼の俎&鬼の雪隠
この辺りは“霧ヶ峰”と呼ばれ、鬼が住んでいた。 人が通りかかると、鬼が霧を降らせて通行人を迷わせ捕まえて俎で料理し、お腹が満腹となったところで雪隠で用を足したらしい。

階段を上ったところに『鬼の俎』、道を挟んだ斜め向かい側に『鬼の雪隠』


<左:鬼の俎 右:鬼の雪隠>

人は殆どいない。奈良を訪れる観光客は年末はあまり活動をしないんですかね?

『鬼の俎』『鬼の雪隠』は完全に別物だと思っていたけど、元々は1つの古墳・・・というか古墳ということすら知らんかった。

『鬼の俎』が底石で、『鬼の雪隠』が蓋石となっていたけど、『鬼の雪隠』が外れてひっくり返って、今のような状態になっているようだ。

この畦道をさらに進んで、『欽明天皇陵』の目の前に自転車を止めて、『吉備姫王の墓』へ向かう。

柵で囲われている『吉備姫王の墓』域内に、『猿石』と呼ばれる石造が四体置かれている。

<猿石>

こういうのが4体も!

元々は『欽明天皇陵』の南側の池田から堀り出されたものなのだそうで、左から、女・山王権化・法師・男を表しているそうで、このうちの三体には裏にも顔があるらしい。

まあ、柵のおかげで見れないけどね。

・・・・・ハッ、もしやこの猿たちが夜な夜な悪戯をしでかすから柵で囲っているのか!?・・・ウソです、ゴメンナサイ。

むしろ人間が悪戯をするから柵で囲われているんだろうなあ。

自転車を返して“特急”ではない電車の時刻を確かめ、暫しの休憩。

12時からサイクリングを始めて飛鳥駅に戻ってきたのは15時と・・・。

3時間で飛鳥巡りってどんだけ急いでたんだ(笑)

しかも昼飯食ってないし。

そもそも店やら何やら閉まりすぎだしorz

行きも帰りも電車で爆睡して、16時過ぎに近鉄奈良駅に到着して車を取りに行き今宵の宿となる『旅館白鳳』へ。

<旅館白鳳>

『旅館白鳳』と提携しているコインパーキングに駐車して部屋で一休み。

前回の京都旅行同様、もう1人のメンバーと合流するので18時に近鉄奈良駅の改札で待機。

前回はSさんがスケブを持ってお出迎えだったので、今回はどうしようかと・・・あれ?いつの間にか改札を出てきて目の前にいるんですけど?

突然の登場だったので何をする間もなく普通に合流。

で、ここで見かけるのは若者ばかりで年配の人が殆どいないことに疑問を持った。

みんな京都に流れちゃうのか?

コンビニでお酒やら年越しそばやらを買って宿に戻り、

のんびりしてから宿近くにある貝焼きと地鶏が売りの『えびす 三条通り店』という店で、美味しい魚貝や鍋料理に舌鼓を打ち、再び宿に戻って『東大寺』へ初詣に行くまで先ほど買ったお酒を飲みそばを食べて時間を過ごす。

23時半に宿を出れば丁度いいのではということで、時間になったので出発。

旅行のメンバーは7人だったがこの時の生存者は3人だけ(笑)

他の人たち?お酒も飲まずに爆睡状態でした(笑)

ということで3人で初詣へと出かける。

同じ目的なのだろう、外に出ると同じ方向に歩く人たちがちらほらいる。

『興福寺』『五重塔』『東金堂』のライトアップに感動を覚え『東大寺』へ向かう。

うーん、撮ったばかりの画像をデジカメで見直すとキレイに撮れてるんだけど、PCで見ると・・・・ぶれてたorz

一日目 二日目

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