熊野三山
2007年5月

一日目 二日目

ついに人生初の一人旅の日がやってきた。

時は西暦2007年5月2日22時。愛車ウィングロードで湯の峰温泉へいざ出発!

・・・・の前に、戦場に赴くためには装備が必要だ。

ということで、近所の24時間スーパーで飲み物やらガムやらを買う。

で、スーパーの出入り口で栄養ドリンク一気飲み。気合を入れる。(←迷惑なやつ

当初の予定としては沼津あたりまで1号線で行くつもりだったが、ナビで調べてみると秦野中井から高速に乗らないと到着時間が大幅に遅れてしまうことが判明したため、ナビ通りに秦野中井で高速に乗ることにした。

GW後半開始の前日とあって22時過ぎだというのに、高速で車を走らせること30分で渋滞にはまる。

「・・・・マジ?」

渋滞を過ぎると後は順調に進み、5月3日の4時に三重県の勢和多気で一般道42号へ降りようとしたとき、急に濃霧に襲われる。

「すげー霧・・・・。しかも車が前後にいね〜。」

なぁんて思っていたのも束の間、霧も薄まり、さらには釣り人なのか車が徐々に増えてきた。

悠長に進んでいるとガソリンがそろそろやばい事に気付く。残りワンメーター・・・・・。

「えーと。 スタンドスタンド・・・・。」

ガソリンスタンドを探しながら車を走らせる。

「スタンドスタンド。」

ガソリンスタンドを探しながら車を走らせる。

「・・・・・スタンド。」

ガソリンスタンドを探しながら、さらに車を走らせる。

「お〜い。 スタンドや〜い。」

ガソリンスタンドを探しながら、さらにさらに車を走らせる。

「ス〜タ〜ン〜ド〜。」

ガソリンスタンドを探しながら、さらにどんどん車を走らせる。

「・・・・・・・・・・・・・。」

ガソリンスタンドを探しながら、さらにさらにどんどん車を走らせる。

あっっっっっっっったぁぁぁぁぁぁぁ!!!

いや、ほんと肝が冷えましたよ。

スタンドはちらほらあるくせに全部閉まってましたから、はい。

24時間のスタンドが無い事無い事・・・・・。

見つけたスタンドの煌々としたネオンが、それはもう眩しくて眩しくて。

「高っ!!!」

リッター133円。

背に腹はかえられん。てことでとりあえず2000円分だけ給油。

「明日(5月4日)には少しは賑わっている所を通るだろうから少しは安くなっているだろう。」

と甘〜い考えで、満タンになり損ねた愛車で再び出発!

さらに車を走らせ今日の目的地である湯の峰温泉まで、残り30分くらいになると急に道が狭くなる。

しかもまた濃霧に襲われる。

「・・・・て、これ狭すぎだろ! しかも視界悪っ!」

国道168号を道なりにくればしっかり2車線あるところを、このナビは何を血迷ったのかとんでもない道で案内してくれた。

6時半、目的地であり本日の宿もここにある「湯の峰温泉」到着。

<AM6:30 湯の峰温泉 東光寺>

車を無料駐車場へ停め、まずは宿泊する宿「まるや」の場所を確認。

駐車場から歩いてものの数秒。これで素泊まり3500円。安っ。

さてさて、現地に着いたら世界遺産の温泉に浸かり、熊野古道(大日越)を歩いて熊野本宮大社へ出発!

という大まかな計画をしていた。

早速、世界遺産の温泉「つぼ湯」へ。

<AM6:45 つぼ湯の外観 Part1>

つぼ湯
常陸の国に、小栗氏という一族が居た。
1415年、関東で上杉禅秀が乱を起こした際、小栗氏は、上杉方に味方したが足利持氏に敗れた。
満重とその子助重(小栗判官)は、小栗一族の住む三河の国を目指して敗走する。
相模の国に潜伏していた時、権現堂で賊に毒を盛られてしまう。
しかし、照手姫に救われ、なんとか藤沢に逃れて遊行上人に助けられる。
その後、病が重くなり、遊行上人の導きと照手をはじめとする多くの人々の情けを受けて熊野に詣で、権現の加護と湯の峰の薬湯の効き目により蘇生する。

仕組みとしては、

受付の券売機で券を買い(750円でつぼ湯公衆浴場orくすり湯に浸かれる)、おじちゃんから番号が書かれた板と券を交換。

僕の時のおじちゃんは少し無愛想だった。

交換したらおじちゃんから説明を受ける。

自分の持っている番号より1つ前の番号の板がつぼ湯入り口に掛けられていたら、つぼ湯のすぐ近くにある待合い所(?)で待機。

シャンプーや石鹸なんかは使用禁止との事。

さらに一組30分まで、おまけに自分の番が来ても知らせてくれないため抜かされることもある。

抜かされたらいつ入れるかは分からないという、恐ろしい仕組みだ。

おじちゃんから説明を聞いたあと、2時間待ちと言われた。

どっと疲れがでてきた。

仕方ないので1時間ばかし車内で仮眠。

7時半頃やっと入れることが出来た。

<AM7:30 つぼ湯の外観 Part2>

入り口で靴を脱ぎ、早速つぼ湯のある建物(小屋?)へ!

大人二人が浸かれるくらいの広さで、硫黄の匂いが適当で不快を感じさせないくらい。作りもまた良し!

<AM7:30 つぼ湯の内観 Part1>

ま、ドアに鍵はありませんでしたけどね・・・・・・。

とりあえず湯船に浸かる前にかけ湯をして軽く汗を流す。

<AM7:30 つぼ湯の内観 Part2>

「・・・・熱っ。 なんだこれ。 結構熱いぞ。」

と独り言を言ってみる。

仕方なく水で薄めて浸かることにした。

「気持ちえ〜。」

自然湧出していて水で薄めても底からジワジワと熱くなるわけだけど、それがまた身体の底から温まる。

なんとも心地よい温泉だった。

続いて本日2回目の温泉、くすり湯に入ることにした。名前に何となく惹かれてしまったわけですよ。

公衆浴場は身体を洗えるらしいけど、くすり湯は洗うの禁止。

くすり湯も結構熱かったが、少し我慢すれば浸かれない熱さではないため、かけ湯をしていざ。

湯に浸かりながら上を見ると天井が高く、意外と開放感がある。

つぼ湯に比べ、若干ピリッとした感じがあったのは気のせいかな・・・・。

つぼ湯からくすり湯へ移動する間に見つけた店で、朝飯としてそばを食べた。

<AM8:30 湯胸茶屋>

腹が減っていることも手伝ってか、おいしく戴いた。

また車で少し寝る。

身体が復活したため、9時半に一人旅の目的の1つである熊野本宮大社へ向かった。

湯の峰温泉から熊野古道を通って熊野本宮大社へ歩いて行く事にする。

熊野古道(大日越)を湯の峰温泉から出発すること5分。

熊野九十九王子のひとつ、湯の峰王子が迎えてくれる。

<AM9:35 湯の峰王子>

湯の峰王子
熊野九十九王子とは熊野古道沿いにある神社のうち、12世紀から13世紀にかけて皇族らの熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で組織された一群の神社のこと。

先に進むといきなり急な上り坂。整備された様子もなく、もう少し緩やかな道かと勘違いしていたため少し驚く。

<AM9:40 熊野古道 Part1>

熊野本宮大社から来る人と挨拶を交わしながら木々の景色、風で揺れる葉の音や鳥のさえずりなどを楽しみながらゆっくりかみ締めるようにして登る。

<AM10:00 熊野古道 Part2>

と、のんびり登っていたのだがジワジワと汗が噴出してきて先も見えない。

・・・・・予想以上にキツイ。

「あと(はあはあ)・・・どんだけ(はあはあ)・・・登れば下り坂に(はあはあ)・・・なるんだ(はあはあ)」

<AM10:10 熊野古道 Part3>

30分以上も登ったところで、漸く緩やかな道になってきた。

<AM10:15 熊野古道 鼻欠地蔵>

鼻欠地蔵・・・・というよりもはや顔が無い様に見えるのは気のせいか・・・・。

<AM10:15 熊野古道 石碑>

そのすぐ傍に南無阿弥陀仏と彫られた石碑。へ〜。いや、もう「へ〜」くらいしか・・・・。

ここから先は下り坂だったので楽は楽だが、踏み外したら大変!てことで上り坂以上に慎重に進む。

途中、大日堂月見岡神社がポツンと佇んでいたが、何故かスルー。一応、見たけど写真も撮らなかった。

今考えると「WHY?」。不思議です、はい。

さらに降っていくと、大きな岩が。

<AM10:25 熊野古道 岩?>

この下で行者が修行していたそうです。写真では暗くなっていて判りませんが、岩の下の空洞にお供え物らしき物があった。

無事に下山(?)して国道168号へ出る。道なりに進むと賑わいを見せる空間になった。

さらにふと周りに目をやると、右には大斎原(おおゆのはら)が見え、前方左に目的地の熊野本宮大社が見えた。

<AM10:45 熊野本宮大社 鳥居>

熊野本宮大社
熊野三山の一つである熊野本宮大社は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神(別名を熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))とする。
熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされており、熊野坐大神(家都美御子大神)は須佐之男命とされるが、定かではない。 太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
1889年(明治22年)の大洪水で社殿が流されるまで、熊野川の中洲にあった。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っている。
由来として、崇神天皇六十五年に家都美御子大神が熊野夫須美大神、速玉之男大神を伴って大きな櫟(いちい)の木に三体の月となって降臨したことを起源とする降臨神話がある。
八咫烏(やたがらす、やたのからす)とは日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇を熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉。
さらに主祭神を含めて十二柱が祭られており、うち八柱は大斎原に祭られている。

<AM10:45 熊野本宮大社 参道>

熊野本宮大社に着くまで結構体力を使い果たしたが、目的地にたどり着けた達成感と神聖な雰囲気に包まれたためだろうか疲れを忘れて休憩を取らずに、いざ社殿へ!

<AM10:50 熊野本宮大社 神門>

参道の階段を上りきると、人人人人人・・・・・。

「うへぇ〜」

思わず意味不明な言葉を発してしまった。正直ここまで人がいるとは思ってもみなかったもので。


<AM11:00 左:社殿 右:満山社「八百萬神」>

満山社社殿はなかったけど、社殿のある敷地内の隅にひっそりと佇むようにあった。

のんびり一通り見物した後は神門のすぐそばにお守りやら何やら売っている所で熊野牛王神符を購入。

<本宮の熊野牛王神符>

熊野牛王神符
熊野牛王又は宝印神符ともいう、俗に「オカラスさん」ともよばれ、カラス文字で書かれた御神符。家津美御子大神と天照皇大神との高天原における誓約、或は神武天皇御東征の際の熊野烏の故事に由縁するとも云われている。
お烏さんの数は八十八羽で、古く天武朝白鳳十一年(約1300年前)始めて熊野僧徒牛王宝印奉ると記せられている。この烏文字の数は三山(本宮、新宮、那智)それぞれ異り、八十八羽の烏をデザインして熊野宝印とみとめられる。
鎌倉時代には「誓約書」、江戸時代には「起誓文」の代りとして用いられた。古くから、熊野権現への誓約を破ると熊野大神の使である烏が一羽亡くなり、本人も血を吐き地獄におちると信じられてきた。
さらに「熊野牛王神符」は凡ゆる災厄から護ってくれる御神符でもある。

「忠尋に楠木が渡すお守りか。 サイズが違うけど。」

などと、しょーも無いことが頭の中に浮かんだ。

はいはい、次次。

国道168号へ戻り、その足で大斎原を目指す。

脇道に入ると、見上げるほどの鳥居が吸い込むように農道といった感じの道がきれいに真っ直ぐ大斎原へ繋がっている。


<AM11:40 大斎原>

「・・・・・でかっ!」

ホントでかい。熊野本宮大社ほどではなかったけど、人がちらほら。ついでに大斎原の方がのんびりした雰囲気だった。

12時を過ぎていたので、近くにあった喫茶店(名前は忘れた)でビーフカレーを注文する。

・・・・出てきたのは極々普通のカレーでした。

13時過ぎになり、湯の峰温泉へ向けて出発。

熊野古道は通ったから別の道から行ってみようとのことで、国道311号から戻ることにした。

日差しが強い下はアスファルト!!日差しを遮る木々も少ない!!!なだらかな上り坂が延々と続く!!!!

かなりしんどい道のりだった。

その道の途中に小栗判官に関する史跡が点在していた。

例えば、

車塚
小栗判官乗って運ばれてきた土車を埋めたとされる

車塚から少し道を外れた所には、

力石
湯治の間、体力の回復を試すために持ち上げた石

まかずの稲
髪を結わえていた藁を捨てたところに稲が生え、毎年米が実り続ける

これらを見たのは良いけど、またまた写真を1枚も撮らなかった。ん〜。ついでに人っ子一人見当たらない。

・・・・たまたまか?

湯の峰温泉に14時半頃に到着して、そのまま宿であるまるやへチェックイン。さすがにヘトヘトだったから。

部屋は和室で6畳、TV付き。ベランダもあった。

部屋で1時間ばかり休み、汗でベトベトだったためお風呂へ。

<PM3:00 まるや お風呂>

温泉街なだけあって宿のお風呂も温泉だった。かなりシンプルなつくりだが、お風呂独り占めなんで嬉しかった。

とりあえずお湯に触ってみる。

・・・・・・・。

あっつ〜!!!!!

本日3回目の温泉で1番熱かった。

あまりやりたくなかったけど、水で適温にして浸かった。もちろん今度はきちんと身体を洗えたけど。

19時に朝食べた湯胸茶屋で夕飯としてそばを食べた。・・・・や、別にそばが大好物ってわけじゃないんです。なるべくお金を抑えようとした結果がこれなもので。

部屋に戻り湯胸茶屋で買った地ビールを飲み、TVを観て、小説を読んでいたら20時には眠くなってきたので就寝。

はやっ!!!!

まぁ、そーとー疲れていたもので、何をする気にもならんかった。

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